3つめのデザイン=「動機のデザイン」をとにかく投げてみた!話し。・・・20170924sun.@Xデザインフォーラム・千葉工大

<自分の>考えを見える化して世に投げたのは、ハジメテかもしれない(*1)。

展示パネルであれば、博物館・資料館に並ぶものはつくってきた。
ワークショップやセミナーを企画・運営するときは、PPTなど素材を用意する。授業の教材もつくる。

が。今回はすこーし、ワケが違う。「ヒトサマ(クライアント)」のものではない。だれかのためでもない。「自分の・自分たちの」考えのポスター化(パネル化)である。

9月24日(日)、第3回Xデザインフォーラム@千葉工大(*2)。
午前のワークショップは上田先生(プレイフル!)。Xデザインは、今年になって、ナイスなワークショップに連続参加させていただいた。キニナル方々(*3)がぎゅぎゅぎゅ、と集まるオトクな(?)場である。

プレイフルな予感?のXデザインフォーラム会場

「YOU、ポスター発表しちゃいなよ(ニヤリ)」と声をかけていただいたのは7月か?かくて、おっかなびっくり発表することとなる。

*  *  *

小さなデザイン事務所である。

何かシゴトのお声がけがあるときは、多くの場合、「デザインください」で始まる。
このときの「デザイン」のイメージは、「完成形」であり、「止まった」ものである。
言ってみれば、「グラムなんぼ」の世界である。(○○が○ページでいくら、○○が○種類でいくら、という、「量」で計るカンジ。)
「デザイン」というものを、「名詞」で捉えた、<止まった>イメージである。

しかし、デザインに関わった人なら骨身に染みているだろう。
「デザイン」は、「動詞」である。「する」ものである。絶え間ない<動き>である。

もちろん、デザインは、最終的に、なんらかの「カタチ」を介して、何が届くか、というものである。「(有形無形の)カタチ」(*4)にいったんしないことには、なにごとも届かない(*5)。「カタチ」へと顕す・可視化する行為(=カタチのデザイン)はとても大事である。

これを、「第一のデザイン《カタチのデザイン》」と呼ぼう。


※ポスター画像、クリックで拡大

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「第一のデザイン《カタチのデザイン》」は、どこからともなく現れるものではない(*6)。
これに先んじて、「何をカタチとするべきか」という、長い長い、試行錯誤、選択、抽出、凝縮の道のりがある。
もやもやとした状態(混沌)の中から、何が本質であり、価値であるのか。この芯を探し出し、凝縮させる行為(=価値のデザイン)が不可欠である。

カタチへの姿勢が真摯であるほど、カタチ(=量で計れるもの)の背後に、夥しい「質への問い(探求)」という行為がある。これを、「第二のデザイン《価値のデザイン》」と呼ぼう。


※ポスター画像、クリックで拡大

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この2つのデザインは、実地の経験の中で、シミジミと感じ、じわじわと発見したものである。、、、もちろん、私が世界における「第一発見者」というわけではない。幾万(幾億?)の人々が発見してきた、いわば「アタリマエ」なことを、私もまた、自分として(ナラティブに)発見したのである。

この発見は、さらに続く。それが「第三のデザイン=動機のデザイン」である。

*  *  *

私が関わるデザインの現場は、多くが地方や中小企業であり、NPOや農家さん、個人事業主さんや生活者たちがそこにいる。
デザインに係る「専門家」は(増えてきたがそれでもまだ)少なく、デザイナーと何かの取組をした、という経験を持つ人も多くはない。

そんな中、「第一のデザイン《カタチのデザイン》」から始まり、ワークショップによる対話(*7)を通して「第二のデザイン《価値のデザイン》」の存在に気付き、遡り、意識が向けられ、ようやく本来のデザイン行為が動き出したとしても(ここまででもなかなかタイヘンなのだが)、常に、「だれがその一連の行為を担うのか」「だれがそうしてできあがったものを育てるのか」「だれに届けるのか」という課題が突きつけられる。
(一時的な予算で<主体者不在>でつくられた商品・サービスが育てられることなく消えてゆくのは残念ながらめずらしくない光景だろう。)

「価値のデザインからカタチのデザインへ」と至るプロセスが途切れることなく、常に変化しながららせん状に生成する動き(ダイナミズム)を支える土壌、、、主体者たる担い手たちの関係性を編むデザイン(=動機のデザイン)が常に求められる。

気が付けば、「第三のデザイン《動機のデザイン》」に奔走(四苦八苦?)する毎日であった。

第三のデザインが活きる現場、活かす人はどこ?

※ポスター画像、クリックで拡大

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「動機のデザイン」という言葉は、今回のポスター発表を機に、初めて前面に出した。(O先生がもっとスポットライト当てなよ!とアドバイスくださった*8)

これまでは「関係性づくり」という言葉を当ててきた。(あるいは「マキコミ」という言葉や「仲間づくり」という言葉や。)

「関係性」をつくるには、(自分を含む)人々の、それぞれに異なる「動機」を探すことが不可欠である。

さまざまに限りがある中で、それぞれに異なる動機を探し出し、編み合わせること。働きかけ合いながら、絶えず編み換え続けること。

…アタリマエながら、今のデザイン、これからのデザインって、それが大事だよね??
図A、図Bの、上の軸(価値からカタチへ)は、これを支え、進める原動力となる下の軸(動機のデザイン)と両輪で、ともに進めてこそ、それぞれがエンパワメントするよね?
そして、これらの主体者は、いわゆる「専門家」だけに固定されたものではなく、多様な人々による多様な関わり方があるよね??(ここがのびしろ!)

実践を通して気付いた(気付かされた)、3つのデザインと、その構造。(*9)

、、、そういったことを問いかけよう、としてつくった一連のポスターではあったが、はたして、どれほどのことが届いたろうか???

つくりかけの書籍のページも一部を展示、書籍タイトルは仮の仮の仮

*  *  *

、、、少なくとも、ポスターからはほぼ伝わらなかったんだろうな~、、、。。。(猛省。)

それでも、ブースに来てくださった幾人かの方々とはたいへん興味深いお話しを交わすことができた(ありがたや~!)。対面トークからは、若干届けられた部分もあったかもしれない。

、、、けど、トークではアカンのや~!トークなし(本人なし)で伝わるものにしたいんや~!!

現在、書籍化(*10)に向けてゼッサン制作中である。過去に、ともに取り組んだいくつかの現場の担い手の方々へ、「その後」の様子をお聞かせいただく取材の旅(?)をこの夏スタートした。

さまざまな現場、それとは気付かれていないかもしれないけれど、それぞれの「デザインのフロンティア」で、専門・非専門問わず、自覚的に、あるいは無自覚に、それぞれの困難に向き合っているであろう人たち。アタリマエながら大切なことを、ショセキカにおいて可視化して、それぞれの現場で、3つのデザインを「指差しトーク」できるようになれば、少しステキなことが起こらないだろうか、、、、??

先は長そうである。また進展させて続きをアップしたい。

■補足
*1
「自分がクライアント」となるのは卒制以来かも??「自分クライアント」でしかできないことを、あらためて実感。

*2
第3回Xデザインフォーラム「プレイフルな学びとオープンなデザイン」
http://informationdesignforum.blogspot.jp/2017/08/3x.html

*3
授業見学に行かせていただいた同志社女子大学の上田信行先生(★関連ブログ1)や、第2回Xデザインフォーラムで登壇された千葉工業大学の安藤先生(人呼んでUX王子?)、台湾でナイスなワークショップを企画された同じく山崎先生(★関連ブログ2)、学生さんとともにグラレコの取組がキニナル常葉大学の安武先生などなど、キニナルメンバーがずらり。ポスター発表では成安の学生さんも単独でエントリーしていました(夜行バスで参加。スゲイ!)。そして新たにはこだて未来大学の原田先生を知り「当事者デザイン」という言葉がおおいにキニナリました~!★関連ブログ1
https://mlog.link-cd.jp/20170716-275.html

★関連ブログ2
https://mlog.link-cd.jp/20170628-168.html

*4
「有形無形のカタチ」、というのは、物質的なカタチ(有形)のみならず、言葉や音楽、ダンス(動き)などの無形のカタチも含んでいます。

*5
何かを直接相手に届けることはできない。自分でコントロールできるのは表現する(顕す)ところまで。、、、と思えば思うほど、カタチのデザインって、大事。

*6
「専門家なんだから、答え(カタチ)もってきてよ!」とのシーンは少なくなく、半分当たっているのですが、半分当たっていません。多くの場合、「自分はデザインなんてまるでわからないから」との敬遠があったりします。けど、「価値探し」は、現場にいる方が見つけられるものも、とっても多いのになあ、と感じます。そこで、価値探しのステップを、対話形式で、できるだけともに取り組んだりします。どちらか一方だけでは見つけられないこと(←これ多いです)が見つかったりします。、、、そのプロセスが、自然と「第三のデザイン」(=互いの動機を探し合い、高め合うデザイン)になっていたりすることが多い、と感じるのです。

*7
現場では通常「会議」「打合せ」と呼ばれるような場も、できる限り「ワークショップ」を意識して取り入れています(そういった言葉遣いは行わず、こっそり取り入れることも)。ここで「ワークショップ」としている要素は、「その場でガチで(言葉だけでも)作業する、参加の前と後で、参加者の互いの考えがそれぞれに変化している」状態を意識しています。

*8
ポスター発表に向け、事務所内で数週間「つくりかけ」ポスターを貼りっぱなしで、メンバーと、あーでもない、こーでもない、と試行錯誤(プロトタイピング)していました。(ギリギリまでしていたので、ふせんのまんまのプレゼンスタイルです。)それを見た大草先生(成安造形大学)からナイスなご意見をいただき触発され、3つの中でもとりわけ「動機のデザイン」に重点を置くスタイルへと変わっていきました。ポスター発表に向けた、小さな「オープンイノベーション」でした~!

直前までふせんで試行錯誤、ふだんの作業(ワークショップ)っぷりをそのまま会場に持ち込んだ

*9
実践の中で、大小さまざまな傷とともに発見した3つのデザイン。特に動機のデザインなんて、得意なわけではなく、まさに必要に迫られて。(もともとものづくり出身やし~!)できないことだったからこそ(多少の痛みとともに←成長痛?)発見が多かったのかも。

*10
数年前より、幾人かからこれまでの活動に興味を持っていただき(おそらくは私では自覚していない「価値の予感」を感じていただき)、「その取組や気付きを本にしなよ!」とハッパをかけてもらっています(ありがたや~!)。
私にしてみれば、特に変わったことをしているわけでも、大きなことをしているわけでもなく、「こんなことを本にして、読みたい人いるんだろうか?」とドキドキ。
が、アタリマエだけど大切だよね?意外とここの可視化ってないかもよ?同様のシチュエーションで苦労している人が他にもいるなら、本にする価値あるんじゃない?と、これまた幾人かに背中を押していただき、おっかなびっくり進行中です~!(「動機のデザイン」してもらっています~!笑)

おっかなびっくりポスター発表~~汗

コメント

  1. 山本容子  より:

    動機をデザインしなくっちゃ!デザインは、人のココロのどこかに、ポンとかこつんとか響いて、いままにない何かを人はカンジ、そしてそのカンジたことで次に何か違う視点が化学反応的に生じ、なんだかわからないけど行動する動機になる。

    人のココロに化学反応を起させないとデザインとは言えないんじゃない?

    • designerM より:

      「人のココロに化学反応」、、、ほんまそーですね!容子さんの取り組みをブログで拝見し、うんうん、とうなづいています。それらの基礎体験を、山城地域で学んだのはマチガイナイです~~!!