「ZOOM廃人」と身体空間…2020,4~6月@リモート講義の(見えない)現場から

「ZOOM廃人」となってしまった。
いや、こんな言葉は(おそらく)まだない。

「ZOOM疲れ」という言葉(※1)は徐々に認知度を高めているようだ。
しかし自分の体感としてはそんなかわいいものではない。
40分ほどの「ZOOMによる配信授業」の録画撮影で、エネルギーを消耗しつくし、
しばらく日常生活に戻れないほどとなり、自分でも驚いた。

典型的に「ZOOM疲れ」が出るタイプであると(身をもって)悟った。

慣らし運転する間もなく、短期間で爆発的な広がりを見せた「ビデオ会議」。
次は「質」が変容していく番だろう。
そのときには少し極端なサンプルが役に立つかもしれない。
「ZOOM廃人」となった稀少な(?)自分の「内なる経験」を書き留めておく。

* * *

この春、大学の講義を「オンライン」で行うこととなった。
ZOOMによる「録画配信」だ。

100分授業のうちの40分が私の担当だ。

あるプロジェクトの実践例をPPTスライドにて紹介する。
今年で6年目となる授業であり、最新ニュースを加えるほかは、内容は大きく変わらない。
「話し慣れたコンテンツ」のはずだった。

ZOOMも、数年前から打ち合わせ時に(単純にビデオ通話機能のみだが)使っている。
「なじみのあるツール」のはずだった。

「オンライン授業」は初めてで不安だけど、恵まれた条件では?
なんとかできる、自らを鼓舞して授業に臨んだ。

まさか「ZOOM廃人」になろうとは

* * *

ところが、いざ録画が始まると、40分で収まらないのだ。
話している間に、どんどん焦っていく。
どこを話しているのか迷子になる。
不安になって、同じページで同じ説明をくどくどしく重ねてしまう。

実演している最中に「ああ、こういう状態になってるな」と気付いた。
しかし時間は刻々と過ぎていき、話し始めたらやりきるしかない(※2)。
このことがさらに焦りをもたらした。
時間に追われながら一人語りが続く。

体調面にも変調をきたす。
動機、息切れが起こり、息継ぎのために言葉が途切れる。
一種のパニック状態である。
心理面でも相当なダメージを受けていることに、後々気付いた。
(しばらくPCの前に座るのが怖かった。マジで。)

なぜこんな状態になったのか?

「ガマの油」状態。こうして「ZOOM廃人」ができあがった

準備不足、なかでも「身体的な」準備不足が大きかったと今なら思う。
「頭では」できるはずだった。
しかし身体が無理だった。

* * *
———
①リアクションを得られず、テンポがわからなくなる。

●ZOOM録画は、私を含め3名の教員で行った。
私がPPTを紹介する40分間は、1人で話し切る。
この間、PPT画面を「共有」している。
私を含む3名の教員の「顔」は、私のノートPCの画面上では、4センチ角ほどの窓の中で表示されるのみである。

●運悪く逆光だったりすると、まっくらな顔がじっとこちらを見ている、ということはわかる。
しかし、表情はわからず「反応」は読み取れない。

●結果、語りの強弱の付け方がわからず、説明をどこで切り上げていいかわからなくなっていた。
———
②操作がわからなくなる。

●ZOOMを2画面で操作したことも「初めて」の私にはマイナスに働いた。
ノートPCの画面には「PPTの発表者画面①」を開き、接続した大型モニターには「PPTスライドショー②」を映した。
②は通常であれば、講義室のスクリーンに映し出されるものである。
「場所〈空間上の位置〉」が明らかに違うので、操作画面か、プレゼン画面か、どっちがどっちか、認知の混同など起きようはずもない。

いつもの作業机の上の、そっくりな画面が私を惑わす…

●ところが、今回のケースでは、(大学ではなく)いつもの自分の作業机で、
見慣れ過ぎた「いつものモニター画面2つ」に「似て非なる表示」が展開される状況が続き、
「絶えず内容について考えながら話している」私の脳にとって、同時平行処理の閾値を超えてしまったようだ。
たびたび操作がわからなくなり、真っ白になった。

———
③心理的に消耗し落ち込む。

●何より自分が驚いたのは、ZOOM録画を経て、自分自身が消耗し、心理的に傷ついていたことだ。
単純な「疲れ」とは異なる。
傷つく?なんだ、この心理状態は?

* * *

後々考察してみて、こういうことだったのではないか、との「仮説」に至っている。

リアクションが得られない(もしくは少ない)ことから、
当然の、無意識のうちの対応として、「少ない情報源(4センチ角の窓)の中から、必死でセンシングして手がかりを得ようとする」ことでエネルギーを使い、へとへとに疲れた、というのが一点。

もう一つ、無視できない要因として、「距離〈位置情報〉」があるのでは、と今では思っている。

ノートPCの画面までの距離はせいぜい60cmである。
ここに、「相手の顔」がある。
もちろん、物理的に60cmの距離にいるわけではない。
「頭では」重々わかっている。

しかし、「身体」はごまかせない。

私の目の焦点距離は、ずーーーっっと、60㎝で固定されているのだ。
私の身体としては、60cm先の「人の顔」を見ているのだ。
これに対し、40分かけて、切々と語りかけるのだが、思わしい反応を得られないのだ。
この距離は「パーソナルスペース」である。
この域内で熱弁しても、いっこうにコミュニケーションが成立しない事態を、
「動物として」「人間として」、異常な状況である、と、身体が「危機認定」してしまったのではないか。

さらに、ヘッドセットを使ったこともマイナスに働いた(※3)。
相手の声は耳元から聞こえる。
自分の声は、口元から5センチ先のマイクに焦点を合わせて語りかける。
つまり、「さらに近い」のだ。

視覚、聴覚、発声において、「身体」は、すべて60センチ以内の「緊密な」対象にフォーカスし、(実に熱心に)エネルギーを傾け、働きかけているのだ。
にも関わらず、この「パーソナルスペース」内で、フィードバックが認知できないという、コミュニケーションの破綻が起き続けている。40分も、だ。

これは現実には起こりえないとは、すぐにわかるだろう。

* * *

60cmの距離とは、心理的安全圏を完全に侵食している。
ここでコミュニケーションのエラーが起こったなら、リアルであれば、自然の反応として、すみやかに距離を取るだろう。
(例えば、60cmの近さで挨拶しても返事がなければ、ささっと離れるでしょう。)

このZOOMによる「閉所恐怖」の経験を経て、慣れ親しんだ「リアルな講義室での対面講義」では、自分自身が何を行っていたかと思い知った。

一つは、生身の人間を相手にセンシングし、そこから得た情報をフィードバックとして、コミュニケーションの基盤に活かしていた、ということ。

もう一つは、講義室の物理的な広さ、距離、空間の座標認識に応じた身体の使い方と、
身体経由で得られる「内側からの情報(自身の目の焦点距離の長さや身体の開き方など)」をも、
コミュニケーションの重要な基盤にしていたのだ、ということだ。

* * *

この「仮説」をもとに、少しずつ手を打ち始めている(※4)。
とりわけ後者の「距離」である。

ZOOM使用時、ノートPC内蔵のものとは別個に、カメラとマイクを接続して、物理的な距離を広く取る作戦である。

私の作業スペースでは、カメラとの距離(つまり目の焦点を合わせる距離)は、ぜいぜい1.2メートルくらいにしかならないのだが、
それでも、60cmの息苦しい閉鎖空間とはかなり違う。

自分の身体のセンサーをごまかすべく?工夫してみた

カメラの向こう側にさらに距離を置いて「学生(受講生)」の写真を貼り、
そこに意識を飛ばして話す、という人の例も聴いた。
本当は立って話したい。たぶん、身体が「広さ」を「内側から」感知してくれるのではないか。

実際はこんな感じ

ビデオ会議はまだまだ進化するだろう。
私のような「廃人」レベルの例は少ないかもしれないが、
「身体が内側から感知する空間」と自然につきあう方法はないものか。

VRの出番が待たれる。が、その前に、ローテクな解決策も試してみたい(※5)。

私の場合、オンライン授業はまだまだこれから。まだ見ぬ受講生のみなさん、どうぞ知恵を貸してください、、!

■補足

※1:「ZOOM疲れ」
↓「ナショナルジオグラフィック」さんで詳細な記事がアップされています。(「ズーム疲れ」は脳に大きな負担、なぜ?)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/042800264/
記事の中で、リモート講義を終えた教授が「『昏倒』するように寝入ってしまった」とありますが、私はそれが数日続きました。(加えて、ある種の恐怖心も。)

※2:「話し始めたらやりきる」
現実には、さまざまな制限に追われだれもが疲労困憊の中、お2人の先生方のでっかい愛情に支えられ、遅い時間まで粘り強く待っていただき、動画4本のうちの2本をリテイクしてどうにかこうにか間に合わせることができました。(ありがとうございました!!)
私にとっても支えていただく先生方にとっても「初めて」であったことや、オンラインとリアルタイムの「あからさまな違い」には前もって予測ができたけれど、やってみて思い知らされる小さな違いが無数にあることが、数重なって(私の脳内処理の)システムダウンを引き起こしたのかしら、と。今もまだまだ、違いを経験中です。違いを活かしてつきあいたい。

※3:「ヘッドセットを使ったこともマイナスに」
声(音量)が出せない、滑舌が悪いことへの対策から、受講生のみなさんにとって少しでも聞きやすく…とヘッドセットを使ってみましたが、思わぬ落とし穴がありました。
耳が圧迫されたことも「閉所恐怖」感を高めてしまったのかと(後々になって)思います。
ZOOMやPC、ヘッドセットのマイク音量設定をすべて「最大」にしても、地声の音量が足りず、聞きづらいんですよ…。複数人で話すと音量が揃わずなお聞き取りづらくなります。なんとかしてほしい~。

ヘッドセット、音はめっちゃいい!今はもっぱら音楽視聴用に使ってます

※4:「少しずつ手を打ち始めて」
リアクションの豊かな人(たとえば学生アシスタントなど)に「うなづき隊」としてZOOMの画面に登場してもらい、ペースメーカーになってもらう、など、みなさんいろいろ工夫されてるようです。(「うなづき隊」とは、HCD-netのHさんの工夫です)
いいなー。ぜひお願いしたい。

※5:「ローテクな解決策も試して」
身体性をビデオ会議に取り込めないか?これはUXであり、HCDの正しき出番だ…!