a leaf of design 第1葉・「コミュニティデザイン」

書籍にする、という企ては続いている。

9月24日に千葉で宣言したとおり。が、その後の道のりは困難を極めている。
(何度も脱輪しかかった。いや、今こそ難所である。)

、、、手強い。このもやもやはタフである。

攪拌した混沌の中から、
「このエッセンスは本に繋がるだろう」と思われるかけらを、
ひとひらひとひら、言葉に置き換えていこう、と思う。

ねっこ、幹、枝、と育てていくのが筋だろう。

その苦しみは引き続き平行して苦しむとして。
ここでは、葉っぱを一枚ずつ紡いでいきたい。
本になる葉っぱ、ならない葉っぱがあるだろう。
どっちでもいいや!いずれ森になるに違いない。

*  *  *

a leaf of design 第1葉・「コミュニティデザイン」

*  *  *

1枚目はずいぶん遡る。
事務所を立ち上げるとき、名称を考えた。

いくつかの案から「リンク・コミュニティデザイン研究所」とした。

1996年の当時、ネット検索しても「コミュニティデザイン」というワードはほぼヒットしなかった(ゼロではなかった)。当時の自分としては「造語」に近い感覚だった。屋号であるが長らく聴き取ってもらえなかった。(※1)

機会あるごと「コミュニティデザインとは何か」を自分なりに定義し、伝え、あるいは伝えずとも腹の中(丹田あたり?)で自問し更新し続けてきた。

目下の私の定義はおおむね以下である。

コミュニティデザインとは(2017年11月現在)

●「コミュニティ」とは
― 人と人が個を意識し、相互に影響を及ぼしあえるまとまり。(※2)
●「デザイン」とは
― ものごとを、意図を持ってある方向に変化させる、見えない本質を顕そうとする行動。(※3)
●「コミュニティデザイン」とは
― 人と人の関係性に着目し、人々の活動を活性化するデザイン。(※4)

コミュニティ(をそのとき形づくる1人ひとり)がデザイン力を持ち、自らを変化・更新させていく。
これが私が標榜しているコミュニティデザインである。

千葉への道も一葉から?ここから始めたいと思う。

■補足

※1
「固有名詞・愛称的な部分」+「事業領域・テーマ」としたかった。前者はこの活動が枠組や専門性を横断し人が繋がっていくことが新鮮で、「LINK」とした。
後者を「地域デザイン」とどちらにしよう?と悩み、「おそらく対象は地域に限らないだろう」と考え(正解だった)、「コミュニティデザイン」とした。この言葉が急速に「伝わる」ようになったのは震災(2011年)以降。(この年、山崎亮氏による書籍「コミュニティデザイン 人がつながるしくみをつくる」が刊行。)

※2
「コミュニティ」の言葉の定義は何十・何百あると言う。
地域共同体関連が中心をなすだろうが、ネット上のコミュニティをイメージする人が着実に増えている。
リアル/オンラインの別なく、1人ひとりの同定(認めること)ができ(本名だろうがアカウント名だろうが)、
自分の働きかけに反応が返ってきて変化が及ぶ範囲をコミュニティと捉える。
また、比較的短期(短時間)であっても、ある目的や思い、行動の(ある程度の)共有があれば
コミュニティと捉える。常に構成メンバーが入れ替わり、その境はグラデーションを成す。

※3
「デザイン」は日本語だと特に「名詞」としての印象が強く、静的な「結果(なにかのカタチ。特に色、柄、形状、意匠的な)」と捉えられることが少なくない。、、、というか、一般的にはほぼこのイメージだろう。(英語だと動詞でもあるけれど。)
一方、「設計」という言葉は、同じ名詞でも、結果としての静的なイメージではなく、プロセスである動的な行為・思索のイメージが強い。(なんでだろう?)、、、同様に、「デザイン」は行動である。動的なものであり、意図を持った絶えざる活動である。ものごとの中の未だ見えざる本質や秩序を体系づけ、機能や意味を顕していく行為であり、対象は、有形・無形を問わない。デザイン行動には必然的に変化(または更新)が伴う。

※4
「活性化」もまた曖昧ワードである。活性化とは?1人ひとりがそれぞれに意志的にいきいきと活動し、結果としてそれらの集合体が活発に動き変化(または更新)し続けている状態と捉える。

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