マルシェア大渋滞?…20191123sat.@成安造形大学 マルシェア薫

朝早めに行って、昼には帰ろう。

、、、との目論見は、いともあっさり崩れ去った。

今年で5年目となる「マルシェア(*1)」。
会場に着くやいなや、ブースに釘付けになる。

、、、というか、会場までの道案内(足跡)からして、心を掴まれる。

動物たちの足あとに導かれて会場へ

すべてがオーバースペック、オーバーストーリー。

いやもちろん、「オーバーストーリー」なんて言葉は、ない。

ひとつひとつの出店やグッズ、ワークショップの背景に、てんこもりのストーリーがある。

、、、ありすぎる。

琵琶湖まで一望。上天気!

ヤバイ。

ありすぎて、渋滞を起こしている。
正直、出し切れていない。
出店者の学生に話しかけると、「実はこれも昨日つくりました(テレ)」なんてエピソードがざくざく出てくる。
うっかりしていたら気が付かない。

たとえば、手作りアクセサリーがある。
ビーズそのものから、レーザーカッターでオリジナルデザインで切り出している。

たとえば、琵琶湖のカタチのカレーがある。
びわこの形状(型抜きの型)は、3Dプリンターでつくっている。

たとえば、炊き込みご飯がある。
米から育てている。

たとえば、泥だんごづくりワークショップがある。
滋賀県各地からさまざまな色・質の泥を譲り受けてきている。

たとえば、ティピ(テント)がある。
流木をダムから拾ってきている。

、、、万事がこの状態である。(鉄●ダッシュか!)

米づくりからつくった炊き込みごはん。赤こんにゃくも入って、ぬかりない

「びわこのカケラ」ワークショップ用の水槽。1日で?つくったという琵琶湖の形の水槽の大きさは1m50cmほど

参加費50円のワークショップに、かわいい「泥だんごくんバッジ」がついてくる

滋賀県各地の土をブレンドして、ぞくぞくと泥だんご増殖中

この豊穣。この上天気。

さらっと、「このにんにく育てました」とか、
「赤こんにゃく入ってます!」とか言っちゃう。
「ここに座ると琵琶湖見えます」とか言っちゃう。
「これを機会に、琵琶湖に興味持ってもらえたら(ニコッ)」とか言っちゃう。
「3Dプリンタのデータ、ダウンロードしたらお家でもつくれますよ!」とか言っちゃう。(いや持ってへんやろ、普通。)
、、、てんこ盛りやろ!あふれとるやろ!

流木でつくった四阿(あずまや)から琵琶湖

* * *

ストーリーが多すぎて、伝達が追いついてないかに見える、豊かな(過ぎる?)マルシェア。

これは学生がプロデュースするが、学生のためだけのものではない。
内外に開かれたイベントである。

絶好のマルシェア日和、近くの家族連れがたくさん訪れていた。
彼らにどれだけ伝わっただろう?

「琵琶湖の型ヌキの型」の3Dデータまで載ったレシピ

お昼(琵琶湖カレー、笑)を食べていると、興奮気味の、となりの家族連れの声が聞こえる。
「泥を滋賀県各地で集めてきてるんだって!!」

めっちゃ集まってたよ、ほんま

、、、よかった。
ちゃんと、「ただ楽しい」だけではなく、その底にある<何か>が伝わっているようだ。
(「ただ楽しい」だけでも十二分に素敵であるが!)

お地蔵さんに泥だんごがお供えされていく

出店するのは学生だけではない。

美味しい珈琲を煎れてくれたショップの店長とお話しする。
京都からの出店、とのこと。
「京都も手作り市ってたくさんありますよね。どんなところに出店されてますか」と聞いてみた。
「ここだけです、2年めです。」と照れくさそうに店長。
「うちのお店に来たことがある、という学生さんが誘ってくれて。こんなの(注:POP)もつくってくれました。芸大の学生さんはぜんぜん発想が違いますねえ!」と笑顔。

店長は、売上のために出店したのではないだろう。(行楽シーズン、京都市内の手作り市のほうがもうかるのは間違いない。)
ここでも<何か>が交わされているようだ。

マルシェアにしか出店しない、と店長

* * *

かくて、予定時間を過ぎ、予定のおこづかいをオーバーし、
今年もまた、たくさんの手作りフードを堪能し、手作りグッズをゲットした。
今年もまた、「成安生スゲイ!」と舌を巻き、ホクホクと帰路についたのであった。

右上のポットはミノリブが育てたにんにくの苗

■余談自らの感じるところ(*2)に導かれ、試行錯誤し、つくり、世に出す。

これは、<何か>を世に出す際の、当たり前の、素直な道筋であろう。
実社会ではしばしば、《出す》ところに重きが置かれ、《つくる》ところは、「《出す》ために必要充分なだけ」に留められているのではないか。、、、と思わされるシーンに出くわす。そのほうが無駄がないからだろうか?わずかな《つくる》に、あの手この手でテコ入れして、《出す》を最大化する(膨らます、水増しする?)技ばかりを極めているように見えるときがある。
短期的にはなるほど「効率がよい」が、長期的にはどうだろうか。

あるいは、忘れているのだろうか。
泥だんごをつくるように、「役に立つかどうかはわからないけれど(たぶん立たないけど、笑)、なんか楽しいからつくる」とか。
琵琶湖の岸のびんのかけらのように「なんかキレイだから拾ってみる」とか。
流木を「なんかカッコイイからここに置いてみる」とか。

感じられ、選ばれ、ティピになった流木たち

《感じる》《つくる》がふんだんにあふれ、大渋滞を起こしている、造形大の休日、「マルシェア」の場。
これは途轍もなく豊穣で愉快なことではないか、、、と、あらためて噛みしめた日であった。

■補足*1:“マルシェア”

成安造形大学で開講される「プロジェクト演習科目」の一つとして開かれる、参加型のマルシェ。受講の学生がマルシェをプロデュースし、学生のみならず、滋賀県各地で実店舗を営む人や地域の人に出店してもらう。土台部分は授業であるが、それに収まらない自主的な活動や協力が随所に生まれる。
今年(2019年)は5年め。初代の「マルシェア種」から「芽」「菜」「実」と続き、今年は「マルシェア薫」。私は1年め(2015年)の授業を担当させてもらった。5年経つのか~!(初代の前の、実験開催も含めると6回を重ねる。バウムクーヘンのよう。)

初代マルシェアからの歴史(!)が展示されていた

▼ニコニコニュースでの記事(学生がプレスリリースしたのだろう)
https://news.nicovideo.jp/watch/nw6108252

*2:“感じるところ”

今、個人的に「感じる」に注目している。
出口に近い、「考える」「分析する」「判断する」に重きを置かれがちであるが、
その前に、もっとあやふやな段階が相当なボリュームで存在しているように“感じる”。
自覚以前の、漠然とした「感じる」が、さまざまな試行錯誤(実感・自覚)を経て、やがてくっきりとした「意図」へと育っていくのではないだろうか。
実社会(特にビジネス)では、あやふやで「価値以前」とノーカウントにされがちな「感じる」は、さまざまなクリエイティブの、大切なゆりかごに違いない。耕すのだ。