「参与観察」としてのリアル京大生体験(聴講生だけど)をシミジミ味わってみる話し。・・・20170405~@京都大学

前期の試験期間が終わった。

「スマホを時計として使っちゃいけない、他人に答えを教えちゃいけない」。試験に係る注意事項のアナウンスから始まり、セミの声が響く階段教室。さらさらと解答を書く学生の隣で一問目から机につっぷして寝ている学生。いかにも大学らしい光景を、この夏、出題する側ではなく「受験する側」として体験した。

「ガリレオ」のロケ場所ともなった、クラシックな名物教室で試験を受ける

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2017年度、京大に聴講生および科目等履修生としてエントリーしている。

直近の目的は今年度後期に開講する「講義」形式の授業づくりのため。
これが現実的に見えてきた2016年末、私はおおいに焦っていた。
「演習」ならまだしも「講義」をつくるのは、私(在野のデザイナー)にしてみれば一大事!なのである。

「そうだ、ヨノナカには『聴講生』という仕組みがあるらしい!」とふと思い起こし、年末年始、WEBで探しまくった。

シゴトと両立できるよう、自転車で通えるところがいいな。せっかく(?)マチナカにオフィスがあることだし。
どうせなら京大はどうだろう?

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私は芸大出身で、今まで非常勤・客員として講師のご縁があったのも芸術系の大学であり、「芸大」という世界しか知らない。(めちゃくちゃにオモロイ世界だ!が、うすうす?ある種の「特別枠」であることには気付いている。笑)

一方で、自分が担当するジャンル(コミュニティデザイン)を押さえるためには総合大学「的な」センス(世界観・視点など)がほしい、と思っていた。(ほかにも経営センスとか国際センスとかほしいものはたくさんあるが。一つずつ積み足していくしかない。)

大学を選ぶとき「ゴキンジョの」各校のシラバスを見漁った。
いくつかの大学のいくつかの講義のシラバスが刺さった。(最終的には「通いやすさ」が加点され、京大にエントリー。)

イッチョマエのオトナならば(?)聴講生にエントリーする際、「この先生のこれを聴きたい」があるのではないだろうか。(想像だけど。)
私は先生がたの情報をほぼ知らず、まっさらな目で「シラバスのジャケ買い」をすることに。
気が付けば文学部の聴講生(と総合人間学部の科目等履修生)となっていたのである。

18歳のピカピカの新入生とともにスタート

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総合大学って、ナゾだった。
なかでも文学部はもっともナゾだったかもしれない。
芸大でもデザイン科であった私は建築設計も含む専攻であったため工学部などはわりと想像しやすい。経済、法学、医学、教育なども一般にイメ ージしやすい。
それが、今の自分の興味関心ごとから「シラバスジャケ買い」した結果、文学部にたどり着くなんて、、、!
このことがそもそも大発見であった。(またページをあらためてメモしたい。)

自転車でサクラサク鴨川沿いを通学

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昨年の同時期、大阪大学が提供する社会人用のプログラムを受講した(阪大WSD)。(2016年度後期開講の授業づくりのために飛び込んだもの。毎年恒例のパターン?笑)。これは土日とeラーニングで組み立てられた「社会人用の仕立て」であった。一方、今年エントリーした聴講生は「学部生が受けているふだんの授業を、学部生と机をならべて受講する」というもの。自分自身がリトマス試験紙となり、リアルに学部生の体験と感情を味わうこととなる。

「シラバス情報だけで授業を選ぶカンジ」をはじめ、「15分の移動と切り換えってこんなカンジか!(なるほど、授業開始のときのテンションてこうなるわな~)」や、「先生、PPTのページめくりが早スギ~!」「いまんとこの解説、飛んだ~!」だの、悲喜コモゴモ。(これが授業づくりにただちに活かされるか?はナゾなのだが。少なくとも折々の受講生の心情はシミジミ味わった。)

大きかったのは「15回というひとくくり」から得られる知的刺激の総量のカンジ、とか。
というのも、私自身、学生時代の「講義受講の記憶」は(残念ながらというかやっぱりというか)ほぼ思い起こせず、これの「重みの感覚」が肌感覚で持てていなかった。今回いくつかの授業を学生として受けてみて、15回の感覚が「少しわかった」(気がスル)。

中庭、いつしか定番となったお弁当スポット

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LINK事務所始まって以来「同じシゴト」というのは受けたことがない。
場所も相手も課題も手段も予算も立場もその都度異なる。
新しい課題に直面したとき、自分がそれに対して何かを考察し働きかけるには「自分なりのモノサシ」が必要である。
調査、データ収集などのインプットによりモノサシは形成されていくのだが、これを手っ取り早く(?)つくるために、さまざまなプロジェクトの現場において、可能な限り「参与観察」をしてきた。、、、ということに最近<メタ的に>気付いた。

初めての土地に行くときに地元のフツウのお宅に泊めていただき、朝からゴキンジョの方との畑仕事にまぜてもらったり(朝から焼酎の洗礼が~!)。
プライベートで体験したことのない高額な宿泊サービスを考えるにあたりワンピースでオサレ?して同じクラスのホテルのラウンジめぐりをしたり(泊まるのは金銭的に難しかった~笑)。

とっかかりに困ったときは、できる限り近い環境に身を投じてきた。
「参与観察」が万能なわけではないが、自分なりのモノサシをまず(目盛りが少なくとも)つくる、ということには大いに貢献すると実感している。(目盛りの少なさは仕方がない。それを自覚しながら延伸すれば使える場面は少なからずある。)

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学部聴講生ながら京大生を「参与観察」してみて、「総合大学的なマナビ」のモノサシが、ほんの少しではあるが、できた、、、としたい。
一方で、私は芸大的なマナビのモノサシをすでに(ある程度)持っている(と言えなきゃダメだろう、汗)。
「現場デザイナー」としてのモノサシも。

大小はあれど「複数ある」ということに意義がある。
これらのモノサシが創り出すそれぞれの座標の違いを意識しつつ、より複雑で判然としないモノゴトに、臆せず多面的に向かっていきたい。、、、そもそも、モノサシ1本じゃ、マップはつくれないからね。

、、、なーーーんんんて、「ジンセイ2周目の学生気分」を(ちょっぴり)味わっている夏、なのである。

前期試験終了、カフェエリアで「ごほうびタピオカミルクティー」

■追記

・今回の「総合大学探検」は、専門性を極める、というよりは、「何が関連領域なのか」「そちら側から見るとどのように見えるのか」「異なる知の経路にはどのようにアクセスできるのか」「異なるジャンルでの<今のマナザシ>はどのようであるのか(何がリスペクトされ何がオワコンと思われてるのか)」などをチラ見しにいった、というカンジである。

・また「学生という立場の安全性・安心感」をオドロキとともに再発見できた。日ごろ、(小さな事務所ゆえ)扉を開けたら「外界」という世界に身を置いているので、「学校」という空間や機能に守られているカンジをしみじみ味わった。いいな~、学生さん!てか、やっぱ、学校って、いいな~~!!

ラーニングコモンズでの取組。エエ環境や~~!!

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