春である。心がざわつく。
3月2日(土)、4年連続となろうか?
この時期、大阪で開かれるデザイン公開講座(*1)に行ってきた。
毎度、「殴られる」ことを予測しながら行く。
身構えちゃいけない。自然体で、受けてたとう。
―それこそが、おそらく、もっともダメージが少なく、レジリエンスをもって、成長に繋がるはず。―
そしたら、案の定。いや、案の上。
想定を上回る、ダメージを受けた。
いや、ダメージと言っていいのか?ドスン、とボディーに効く「ゆさぶり」、である。
重いやつ。「鈍器」である。
* * *
今年のテーマは
「ビジネスとこれからのデザイン」。
、、、いや、普通やん。(と、思うでしょ?)
しかし、基調講演2本(*2)の間に、どんどんおなかのあたりがぐらぐらしていく(*3)。
今、取り組んでいることの激烈な新陳代謝を感じる。
自分がうんうん取り組みながら、漠と感じていたことをあっさり視覚化・構造化されちゃったりする。
古い、と一蹴され、「その次」が強烈につきつけられたりする。
「知識」だけなら、スマホで得られる。
この場には、「リアル」がある。「デザイン」がある。
それを多面的に咀嚼し、刺激しあうコミュニティ(メンバー)がいる。
* * *
この公開講座で、取り分け「好きな」時間がある。
、、、ということに、気が付いた。
お2人の講師の講演のあと、参加メンバーによるグループワークがあり、
班ごとにいくつかのテーマに分かれて議論した、「取って出し」の知見や気付き、提案を発表しあう、のだが、、、
「初めまして」のメンバーで、10~20分?話したところで、
「提案」にまでいたる班は少ない。
ナマナマしい気付きや迷い、問いのタネ、みたいなところ、
ひとまず、「今、今の今」の考えを吐露するしか、ない。
緊張の瞬間である。
それを聞いた講師のお2人も、
それぞれの「今、今の今」で、反応するしか、ないのだ。
* * *
縦横無尽にコメントが講師より返される。テンポよい反応。
一方で、講師がコメントに入る一瞬、「ため」があったりする。(*4)
この「ため」を経て、放たれる一声。
ここには、なんらかの「誰も知らなかった、一期一会の、新しいこと」が含まれている。
この時間が「好き」なんだな、私。
* * *
自らをアップデートするために。
どんどん捨てろ、と浅野先生。
浅野先生、森田先生から、ご自身のリアルにおける、ドラスティックな捨てっぷりが鮮やかに示される。
自分自身の変化を1年に1度、定点観測する場。
はたして私はどれだけ捨てたのか?
鈍器がボディーに効いている。
*1:
この講座の本体は、ほぼ1年に渡る連続講座であり、「Xデザイン<学校>」と言う。
(私が参加したのは年に1度の公開講座。)
今回参加させていただき、2018年度の受講生のみなさんの発表(ライトニングトーク)をお聴きしたり、
何人かのかたがたとお話しする中で、「学校」という言葉に納得。
講座の「回数」という単純な話しではなく、リアルのスクーリングの時間「以外」も、深く各々の変化に作用している。
背景の異なる人どうし、リアルとネットを介して継続的に、互いに学び合える場であるのだな、と感じた。
▼Xデザイン学校 公式HP
https://www.xdesign-lab.com/
*2:
基調講演
「企業で活かすUX」(佐藤啓一郎氏)
「ゲームチェンジとサービスデザイン」(浅野 智氏)
*3:
参加のY先生と雑談。
「今年の変化はヤバイ!」と。(私だけの感触ではなかった!)
毎年、ヤバイ、と思わされる。
が、ほんとうに、その変化の差分が、今年はヤバかった。、、、あかん、ヤバイ。汗。
*4:
「ため」のひとつに、「人間中心」を捉え直す、というシーンがあった。
たとえば<人間性>の角度から?
捉え直しの近道は、捨てること。