a leaf of design 第2葉・「ワークショップ」

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a leaf of design 第2葉・「ワークショップ」

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すべてのmtgを、プロジェクトを、授業を「ワークショップ」と捉え、取り組んでいる。(※1)
まちづくりプロジェクトの現場で意識し始めた概念(※2)だが、気が付けばあらゆる場面におよんでいる。

あえて言わないことも多い。(※3)
傍目からはそうと見えず、同席する人に「そうだな」と認識してもらっていることも、してもらっていないこともある(後者の方が多い)。

世の「ワークショップ」の定義は多数ある。
様々な視点からの捉え方、構成要素、手法などがあげられ、必ずしもあてはまらないものもある。
ここでの捉え方は一般的なそれより広い。

何を「ワークショップ」と見ているのか。

私が「ワークショップ」を自認するとき、吟醸すると以下に凝縮するのではないか。

ワークショップの条件(2017年11月現在)

1)その場での人々の相互作用による変化を必要不可欠な要素としているか(そのときそこに居合わせる人の存在、働きかけが、プロセスや結果、互いの認識に作用することを不可欠な要素としているか)。

2)その場にいる人々が1)の状態であると感じることができるか。

、、、書いてみてあらためて思う。2)が難しい。

これまで、まちあるきWS、プランづくりWS、ものづくりWS、建築設計WS、、、など、まちづくり系の現場を中心に、「ワークショップらしい」さまざまなWS(※4)を企画・運営してきた。しかし、「らしいワークショップ」では、かえって上の2条件を満たすことができなかったのではないか。

これらの経験を経て、「らしさ」よりも、ワークショップの価値・効用の「芯」に当たる部分を、事務所内の日々のmtgはじめ、小さな現場、シーンにおいても(2人以上であれば)実践すること(実践しようと意思すること)が、私にとって思考とふるまいの標準(習い性?)となった。

たとえばmtgにあてはめると。

情報の伝達にすぎないもの、確認にすぎないもの、だれか1人の(あるいは複数であっても一方向に)意思が宣言されるにすぎないものはワークショップではない。

、、、あかん。書けば書くほどドキドキしてきた。(いててて、、、。)

だから、書くんだ。

■補足

※1
ワークショップは万能ではない。使い方を誤ったこともある。けれど、可能性を感じている。(要するに、好きだ。)

※2
事務所設立時(1996年6月)の会社概要リーフレットに事業の3つの柱を書き、うち一つを「ワークショップ分野」とした。以来傍らにある概念である。昨年(2016年)春の阪大ワークショップデザイナー育成プログラムへの参加が捉え直しの機会となり、仲間とともに動きながら考える、場の「動体視力」が鍛えられた。

※3
たとえばあるクライアントとの情報誌作成の企画編集会議は完全にワークショップスタイルで行っている。が、そうとは言ってない。
どういう場合に言わないか。言うことによって身構えられるような場合や(嫌いな人、苦手意識を持つ人、面倒だと思う人、懐疑的な人など少なからずいる)、プロセスとしてストレスなくはまっている場合は言わない(言う必要がない)。逆に、「まだどうなるかわからない状態です、あなたに動いてもらう必要があるんです」と意識してもらいたいときには言うことが多い(シチュエーションによる)。
(理想は「そうと言わないけれどそうなっているワークショップ」、である。)

※4
資源探しWS、特選品づくりWS、観光体験プログラムづくりWS、運営のしくみづくりWS、畑づくりWS、お料理WS、自然観察WS、お祭りづくりWS、コンテンツづくりWS、サイン(道標)づくりWS、など。(まだある。ほんま好きやな、WS。)並べてみると、幅広そうでいて、すべて何かしら企図ある「もの・ことづくり系」であるな、と自覚。

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